Non Fiction/Popular Science(#1)

日本の結婚制度に対する恋愛の「役割」を取り扱う本。明治維新後に西洋思想の洗礼を受けた日本人が恋愛に託した夢と、それが論者や国家によって「科学的」な優生思想と結合していく様が分析されている。

恋愛に「良いもの」と「悪いもの」があり、「良い恋愛」は「正しい相手との恋愛」であるとされ、「良い結婚」から「良い国民」が生まれ、「幸福な家庭」が国に満ちる。恋愛結婚の肯定と、実はそんなに自明で無いはずの結婚後の「幸福」が、優生学的な味付けをされて国家と知識人によってセット販売されていた様が描かれる。

このような社会的ダーウィニズムが現在の日本と無縁では無い所がゲッソリさせられる所で、本書の最後に実例が示される。1966年に兵庫県公衆衛生部は「不幸な子供の生まれない運動」の中で不幸な子供の定義が書かれたパンフレットを作成している。その中では「生まれてくること自体が不幸である子供。たとえば遺伝性精神病の宿命を担った子供」「生まれてくることを、誰からも希望されない子供。たとえば妊娠中絶を行って、いわゆる日の目を見ない子供」などの、存在自体が不幸な子供のガイドラインが示される。

「DNA」という言葉の氾濫も、優生学的な了解と無知がなければレトリック自体が成り立たないであろう。DNAは特質を決定するというあいまいな了解と、何を決定しないのかに対する無知が前提であり、そもそもDNAと遺伝子の違いにすら無頓着だ。むき出しで無い代わりに、洗練された形で過去が繰り返されている、と言って良いだろう。

国家によって与えられる道徳的規範への警戒と、科学知識の理解が過ちを繰り返す事を防ぐはずだが、これらは個人的に身につけるしか無いものでもある。過ちは洗練され、抗い難い形で繰り返されるのは、確実と思われる。

人の手が何故いまの形になっているのか? 何故二足歩行をしているのか? 日本、マダガスカル島、アフリカで実際にサルを観察し、フィールドワークを行いながら仮説を温めてきた著者が独自の理論を披露する。その理論は次の、

  1. 動物は他の種と競合しない独特の主食を持つ
  2. サルの手と歯はその主食に合わせた形をしている
の二つ仮定が両輪となって展開される。

サルの手と歯は、主食を採取し、食べるために必要な形状になっている、というごくシンプルな仮定を、アイアイやチンパンジー、ニホンザルなど10種類以上の具体例を挙げて、帰納的に証明していく。そして、人類の手と歯の形から、人類の祖先が何を主食にしていたか? という推測へと進んでいく。手の平と向かい合わせになった親指で何を掴み、他の種と競合しない何を主食としてその口でかみ締めていたのか。その結論は素人には思いもつかない、驚くべきものだ。

フィールドワークにおいての観察結果もさることながら、19世紀から積み上げてられてきた動物の生態や種の成り立ちに関する様々な仮説を振り返る所も見所だ。ダーウィンから始まった仮説の変転を追いながら思うのは、人間の好奇心と発想が世界の見え方まるでを変えてしまうという事だ。そして、ダーウィンの偉大さも。

むろんこの本に書かれたことは仮説である。しかし、著者が人生を賭して一つの知的な景観を作り上げたという事が何より素晴らしい。読後に感じたのは、科学は人生に値する営みだ、という事だった。