物心/写真/光円錐
「いつ物心がついたか?」をはっきり覚えている人はそうはいないだろう。自分もそのへんはさっぱりわからない。
「物心がつく=記憶として残っている」という曖昧な感じでよければ、おそらくは保育所に入る前だ。
今実家がある田舎ではなく、その前に住んでいた和歌山市内のころの記憶で、別に激しい感情の起伏があって覚えているとかいうのではなく、単に「大鉄人17をTVで見た」だけの記憶だ。
それにしても、なぜ大鉄人17なんだろう……
大鉄人17の超合金のおもちゃを持っていたから、ではないと思う。それなら超人ビュビューンとかキョーダインとかカゲスターでも良かっただろうに、だって同じようにおもちゃで持ってたんだから。
小さい頃の記憶をたどるのに便利なのは写真だ。
私自身が一人っ子ということもあって大事にされたせいか、ずいぶん古い頃からの写真が残っている。赤ん坊のころの写真とかもあり、もちろんそれを撮られたなんて記憶はこれっぽっちもないのだが、中に気になる写真がひとつある。
その写真は乳母車に乗っている赤ん坊のころの自分なのだが、その左隣に同じように乳母車に乗っている赤ん坊がいるのだ。
小学生ぐらいのころに「だれなん、これ?」と母親に聞いたら驚かれた。「マリちゃん、覚えてへんの?」と。
そりゃ当然覚えてないし……と母親に言っても無駄なので、どういう子だったのか聞いてみたら、何のことはない当時住んでいた住宅のお隣さんだったらしい。よく一緒に遊んで、えらく仲良しだったとか……
お互い赤ん坊なんだからしょうのないことだが、自分のことを知らない人間が同じ写真のフレームにメインとして入っていることを、今の"マリちゃん"はどう思っているのだろう?
いや、もう向こうだって30代前後でてんで覚えちゃいないだろうし、ましてやこの写真を持っているとも限らない。一方的に自分が知っている、いや知らないんだが知っている風なのは、まるで鏡の中にうつる自分のようだ。
よほどの事故が無い限り、これ以降一生合うことはないだろう。これが運命とかいうものか? かなり不思議だし、意味不明で面白い。……すいません、全国のマリさんごめんなさい。
一人の人間が生まれてから死ぬまでにどれだけの人を記憶に残すか、というような無意味な計測をしているようなサイトとかないものか?
病院で間際のおじいちゃん・おばあちゃんに「すいません、調査なんです! 顔と名前を覚えてる人を羅列してください!」とかやると……怒られそうだな。
その人が関係する事象範囲を時間軸に積分すると、過去・未来に向かって同様に円錐状に広がっていく。それがライトコーンというものだ。出はSFかもしれない。
幼い頃に出会った"マリちゃん"が今の自分を作るホンのわずかでも要素になっているんだろう、と考えるとやはり不思議だ。
「袖振り合うも他生[=多生]の縁」
昔の人もそう実感していたに違いない。
コメント
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投稿者: Pink Friday | November 21, 2010 07:37 PM