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December 17, 2004

個人情報

最近は銀行でも郵便局でも弁当屋ですら「○○番のお客様~」とかいうのな。


で、今ごろ気づいたんだが、あれって名前を呼ばないためのシステムを兼ねてるのか?
去年あたりから、個人情報漏洩が大流行だし。
「お、この○○さんとやらは、この銀行に口座を持っているらしいぞ、しめしめ」
というような事が無いように、とか。
ただ、そこまで考えると、
「お、この○○さんとやらは、この病院に通っているらしいぞ、しめしめ」
とか、
「お、この○○さんとやらは、このクラスに通っているらしいぞ、しめしめ」
とかいうこともありえるわけで、
「個人情報漏洩が怖いので、自己紹介は控えさせていただきます」
という小学生とかが現れかねないことになる。

かといって、誰もが名無しさんでは困るわけで、ここで強く推したいのがあだ名だ。
別にハンドルでもペンネームでもラジオネームでもなんでもいいが、要するに「わかっている間柄のみで通じる名」だ。

俺の携帯は素晴らしいことに、ほぼすべてあだ名で登録されている。
よってたとえ落としたりと紛失しても、登録している人たちには迷惑はかからない。
その登録名を改めて眺めてみると、なかなかに難解で面白い。

グループフォルダ名がいきなり「らんぱぶ」の時点でどこかおかしい。
その中に「そのばさん」とか「カニヲさん」とか書かれているわけだ。
一見するとありそうな「伊織」とか「秀」なんてのもあだ名である。
別のフォルダにある「まっどまど」とか「るぱそ」なんて、意味不明すぎてすがすがしい。
「ここまで変だと、確かめたくて掛けたくなったりするかもな……」
という不安すら覚える。
そして、極めつけはこれだ。

「師匠」

いったい、こいつは何なのかと。
誰の師匠なのか? 少なくとも俺の師匠じゃないんだが。
そう考えているうちに、ふと気がついた。
俺もらんぱぶメンバーの携帯に「シャチョー」って登録されてるんだろうな……orz

November 12, 2004

思考ワープ

寝起き付近が一番。


くだらないことを考え付くのはやっぱり自我が飛んでいるときに限る。
特に朝、寝起きあたりは楽しい。
すごいスピードで考えてる……思い浮かんでくる内容がころころと変わっていく。
内容的にたいてい何かがうまく行っているようなことばかりで、最後うまく行かなくなったあたりで、「やべ、起きないと会社遅刻するよ」という感じ。
この状態が普段からできれば、もっと楽しいと思うのだが……それじゃ電波キャラか。

しかし惜しむらくは、そのうまく行っているような何かを全然覚えてないことだ。

October 13, 2004

医者の子

医者の家系はたいていの場合において代々続くらしい。
医者は人命を救う職であるからして頭が良いのが当然だ。
そして、その責務に相応の対価を得られるわけで、ゆえに金持ちである。
金持ちということは相応のランクの女性を娶ることになり、必然的に「頭が良く」「顔もいい」子が生まれることになる。
また金持ちは子に対する出資を惜しむということが愚であると知っているため、子は行き届いた環境で育つことになる。
だから俺は頭が良いし、かっこいいんだよ。

と、高校時代に友人(医者の息子)が言っていた。
実際、頭良いし、男前だった。
奴ももう実家を継いでるんだろうな。

July 31, 2004

年表

ライトノベル完全読本の年表見ててなんとなく。


「俺がこっち(オタク)側にカミングアウトしたのっていつごろだっけ?」と記憶をたどったら、とんでもないところに当たった。
俺、中学の頃、担任でもない先生に引きずり込まれたような気がする……。

ど田舎に住んでると大学に行ける人間は地元では天才扱いされる。
(もちろん、そんなのは田舎者のただの幻想なので、進学校に進むと一瞬にして底の浅さが露呈するわけだが)
で、特に勉強なんかしなくても点数は取れるので、親の影響(阪神きち○い)もあって、真面目に野球少年をしてた。
小学校4年のころにファミコンが流行りだしたが、叔父さんからPC6001をもらってしまったために買ってもらえず、仕方ないのでひたすらベーマガのリストを打ち込んでた。
(ちなみに当時の記録媒体はテープだ!)

中学に入り、まだまだ勉強なんかしなくてもOKだったんで、同様に野球少年を続けてた。
で、うちの中学(ってか俺の学年か)の良い所だと思うのだが、先生方は非常に生徒の意思を尊重し、話を聞いてくれる人たちだったので、いわゆる職員室が怖くない場所だった。
そんなわけで良く職員室に遊びに行ってたのだが、その問題の先生は国語の教師で俺に「これ読んでみたら?」と薦めたのが……

「AKIRA」

もちろんアレ、分厚いアレ。
特に疑問に思うこともなく、うちの親は漫画大好きなんで怒られるわけでもなく。
で、読破したら次に渡されたのが、「佐武と市捕物帖」……。
今考えるに、なんでそんな渋い本を渡すかな……。
ただまあ、原因が俺にあった可能性も否定できない。
親が漫画好きだったので、ちば作品・水嶋作品は全部揃ってたし、横山作品もほぼ揃ってた。
というようなことは話してたわけで、向こうも俺に内在するオタク要素に気がついていたのだろう。
人間誰しも、話の合う相手は欲しいわけで、そういうところにいじりがいのある若いのがいたら手も出すってもんか?
まあ、その先生も若かったしなぁ。

でもまあ、今のご時世だと女オタクと呼ばれてしまうのだろうな。

February 23, 2004

無茶/叫び/廃線

子供の頃はよく無茶なことをするものだ。正確には「無茶な遊び」なわけだが、とにかく無茶なのは確かだ。
まず、わりとまともっぽくて良く覚えているのが「靴飛ばし」
「半分脱いだ状態の靴を助走をつけて飛ばす」ってあたりがおおよそ想像の範囲?
80%ぐらい正解。ただ大きく違うのは「助走」ではなく「ブランコの反動」で。
文章だとわかりづらいとは思うので、ざっと説明するとこういう過程。

1.ブランコをガンガン立ちこぎする
2.ブランコの円弧が180度に達しようかというところから、座りこぎに移行
3.片側の靴を半脱ぎ状態にする
4.地面に靴をこすらせながら勢い良く飛ばす

今思うに2の座りこぎへの移行が半端でなく怖い気がするんだけど、当時は難なくやってのけてたんだよなぁ。
この遊び、今の子たちはやってるんだろうか? 親が「危ない」って怒るか?

もうひとつが「二地点の両端からお互い走っていって、出会ったところでじゃんけん。負けたほうがスタートに戻る」というような遊び。どんどん勝ち抜いて、相手側の陣地に到着した方のチームが勝ちになる。
で、どこを走っていたかが凄まじい。なんと、有刺鉄線を張った木杭柵の上を走っていたのだ。
田舎のローカル線の駅はたいてい無人駅で、およそまともな駅舎なんてものはない。あるのはおんぼろな木造の掘っ立て小屋と駅区内を囲む有刺鉄線が張られた木杭柵だけ。その有刺鉄線はもれなく錆びている。
で、この遊びをしている若い頃の私、焦るあまり木杭柵から足を踏み外して落下……
小学五年生の頃、校則で決められていた半ズボン、生太ももに刺さる有刺鉄線……いたたたた……思い出す方が痛い。
ただ当時は余り痛いと思わなかったんだよなぁ。多分、アドレナリンが出まくっていたのと、実際さっくりとささると案外痛くないのかもしれない……

こんな風に学校帰りに駅で遊んでいるとそのうち電車が到着する。登り方面に帰る友人も、下り方面に帰る友人もいて、かくれんぼなんかしてて乗り過ごしてしまうと更に一時間の待ちぼうけを食らうことになる。悲しいかなローカル鉄道。
だから子供たちは叫ぶ「電車来たー」と。
最初は普通に叫んでいたような気がするが、そのうち妙な節回しなんかついて、腕を振り回しながら「で~んしゃきーたー♪」なんてやってたわけで。
そりゃ、近くの高校に通ってるお姉さん方も大笑いするって。

小学校の頃はその電車で通い、中学の頃は校庭の裏をその電車が走っていて、高校のときはその電車と競争するように自転車で通っていた。
終点間の距離はおよそ15kmぐらいしかないにもかかわらず、料金は480円(高校当時)と恐ろしく高く、高校生ならママチャリでも勝てる運行速度。
通常が二両編成で、通勤時のみ三両編成。閑散とする時間帯は一両編成でしかも電車の床は板張りという恐ろしく貧相な鉄道。
そんな野上電気鉄道は1994年に廃線となった。

当時の風景を捉えてあるページ→懐かしの野上電鉄思い出の鉄道写真館 野上電気鉄道

今年で廃線から10周年になるが「あの頃の記憶はこの電車と共にあったんだな」と少し感慨深い思いがこみ上げてくる。
今も帰省の時は海南駅から実家までこの線路に沿って車を走らせるわけだが、跡地にはもう線路も枕木もなく、一部はサイクリングロードのように舗装もされている。
もう二度とこの電車が走ることは無い。

February 06, 2004

物心/写真/光円錐

「いつ物心がついたか?」をはっきり覚えている人はそうはいないだろう。自分もそのへんはさっぱりわからない。
「物心がつく=記憶として残っている」という曖昧な感じでよければ、おそらくは保育所に入る前だ。
今実家がある田舎ではなく、その前に住んでいた和歌山市内のころの記憶で、別に激しい感情の起伏があって覚えているとかいうのではなく、単に「大鉄人17をTVで見た」だけの記憶だ。
それにしても、なぜ大鉄人17なんだろう……
大鉄人17の超合金のおもちゃを持っていたから、ではないと思う。それなら超人ビュビューンとかキョーダインとかカゲスターでも良かっただろうに、だって同じようにおもちゃで持ってたんだから。

小さい頃の記憶をたどるのに便利なのは写真だ。
私自身が一人っ子ということもあって大事にされたせいか、ずいぶん古い頃からの写真が残っている。赤ん坊のころの写真とかもあり、もちろんそれを撮られたなんて記憶はこれっぽっちもないのだが、中に気になる写真がひとつある。
その写真は乳母車に乗っている赤ん坊のころの自分なのだが、その左隣に同じように乳母車に乗っている赤ん坊がいるのだ。
小学生ぐらいのころに「だれなん、これ?」と母親に聞いたら驚かれた。「マリちゃん、覚えてへんの?」と。
そりゃ当然覚えてないし……と母親に言っても無駄なので、どういう子だったのか聞いてみたら、何のことはない当時住んでいた住宅のお隣さんだったらしい。よく一緒に遊んで、えらく仲良しだったとか……
お互い赤ん坊なんだからしょうのないことだが、自分のことを知らない人間が同じ写真のフレームにメインとして入っていることを、今の"マリちゃん"はどう思っているのだろう?
いや、もう向こうだって30代前後でてんで覚えちゃいないだろうし、ましてやこの写真を持っているとも限らない。一方的に自分が知っている、いや知らないんだが知っている風なのは、まるで鏡の中にうつる自分のようだ。
よほどの事故が無い限り、これ以降一生合うことはないだろう。これが運命とかいうものか? かなり不思議だし、意味不明で面白い。……すいません、全国のマリさんごめんなさい。

一人の人間が生まれてから死ぬまでにどれだけの人を記憶に残すか、というような無意味な計測をしているようなサイトとかないものか?
病院で間際のおじいちゃん・おばあちゃんに「すいません、調査なんです! 顔と名前を覚えてる人を羅列してください!」とかやると……怒られそうだな。
その人が関係する事象範囲を時間軸に積分すると、過去・未来に向かって同様に円錐状に広がっていく。それがライトコーンというものだ。出はSFかもしれない。
幼い頃に出会った"マリちゃん"が今の自分を作るホンのわずかでも要素になっているんだろう、と考えるとやはり不思議だ。

「袖振り合うも他生[=多生]の縁」

昔の人もそう実感していたに違いない。